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自宅へ戻ってから。

2月27日本人の希望で自宅へ戻ってから
3月10日の眠りにつくまでの間の私自身の気持ちを綴った日記です。

2/27

今日、早めに仕事を終了させてもらって病院へ!
この道を何度通っただろうなんて思いながら 12:00前に到着。
妹と母は 途中事故があったらしく 12:00過ぎ
の遅れて到着。父は、かなり待ち遠しかったようだ!
先生からの話、会計、薬の説明などを受けて 退院。
自宅へ戻ってきたのは 2:00過ぎやった。遅めの昼食をとり その後
父は、休んで 私と妹で 急変時の病院を
ということで 紹介状を持参し Kセンターへ。
退院時の先生&看護婦の話では
多分、受入れてくれるでしょうとの言葉だけで
不安を抱えながらの Kセンターやった。
案の定、急変時だけ来た所で
向こうの病院も 困りますの返事。
じゃあ、どうすれば・・・・??

すったもんだの末 往診をしてくれて
最期の際も見てくれるという先生を
紹介してもらう。
(ちなみに、その紹介をしてくれる病院を探してる間 待合のホールのような所でちょっとした
ピアノ演奏が。曲目は
”見上げてご覧、夜の星を・・・♪”やはり
この曲に縁を感じた一瞬やった!)
そこで、訪問看護の方との話もうかがい
無事手配は済んだ。
早速訪問看護の方も来てくれて
血圧と脈と面談を済ます。自宅で、点滴も出来るという。おふろの補助も
してくれるし 多少母も安心できたかな?

2/28

今日で、慌ただしき2月も終わり・・・。一時 「2月が山です」いわれてたから
冷や冷やな2週間といった所だろう。明日から3月。
友人から一本の電話が・・・・。
TVで、奇跡の水の話をしてると・・・。
今の父にどうやろうか?と。このところの私はそういったガンに関するTVを
一切見てなかった。自分の中で なんか物悲しく
響くだけやったから。でも、彼女に
父が頑張ってる中で うちらも頑張らんとと
励まされて・・。又、ある方にメールで諦めちゃダメですよ。
お父さんも頑張ってるんですから・・・と。
何度も、いろんな人にこの言葉を言われてハッとさせられる!
そうなんだよね!辛い本人が生きようとしてて・・・。と又ココへ戻る!
どうしても 頭の中で両方の思いがぶつかり合う。諦めちゃあ
ダメなんだよネッ!!!

3/1

ふ〜〜!冷や冷やの2月がやっと終わったといった所でしょうか?
3月の声を聞いて 花粉の症状も一気に来てます!
そんな中、実家へ行ってる妹から電話あり。あまり良くない状態が・・・。
明日行く予定を繰り上げて仕事終了後慌てて出かける。
駅についてからバスを使うのだが 今回タイミングがえらく
悪くて、目の前で発車されてしまった。
あちゃ〜〜〜!(+_+)
タクシー使って 1時近くに着いた。思ったよりは ひどい状態でもなく ただ
往診の先生の話だと、一応一週間または二週間に一度の往診予定だと。で
次はいつ・・・?の質問に“答えられない”と・・・・。by玄関先
と言う事は1週間厳しいということなの?冷たい感じがする医師に怒りを
感じつつ仕方がない。ここしかないのだから・・・と言い聞かせる。幻覚なのか
おかしなことを言うのが気になる。二階で
誰か咳してると・・・・。by父
とおりの車の気のせいだよと私。
そうかあ・・・?by父
ちょっと、どきどき。母も、2人状態でいるのはかなり酷な様だ。
う〜〜!もどかしい思いながら妹と帰ってくる。
明日も行く予定・・・・。もお。冷や冷やだあ・・・。

3/2

ふ〜!交通の便の悪い実家への道のり。電車を2つ乗り継いで バスで15分弱。
徒歩で8分くらいで 計1時間位といったとこ。
昨日のドキドキ症状から今日は割りと安定してた。ただ、眠いようで うつらうつらの状態だが。
昼頃、レンタルベッドも設置してもらって 寝起きが少し楽になったかな?
しかし、父の言葉とは裏腹の症状はかなり悪い。尿の出が悪くなってると言う事。
足のむくみ、腹水の部分でのお腹の膨らみ。あまりの尿の色の驚き・・・・。
目にする事実は 辛いものばかりで。
父は、良くなっている感じがすると・・・。痛みもないし、食欲もある。
美味しく食事を食べられると・・・。快気祝いの話までが出ている。このぶんで行くと
3月中には どうにかなるかもしれないと。もちろん、ここまで来たのには
いろんな人たちの祈りによってなんだなあと。
快気祝い、何にするかなんてことを言いつつ。
でも・・・・。
そんな会話を続けていくのに涙が出そうになる。
足のマッサージをすると 気持ちが良いみたい。そのリラックスの顔を見るとホント
安心する!
義兄夫婦に頼んである タブりん&なるりんの心配までしている。
「何か、お礼しないとなあ・・・・」
一気に涙が・・・。(T_T)  私も頑張らんと・・・・!!

3/5

今日は三女が実家へ。KOUちゃん預けてご苦労様です。
お互い所帯を持っている身であるためになかなか自由が利かず・・・・。難しいっす。
今日の体調は夕べは一晩中 独り言言ってたそうな。
それも、だんだん支離滅裂になってる感あり。
幸か不幸か私はその場面に未だ直面しておらず
想像の域でしかないのだが。。。
うちら、子供が行くと
しゃんとした姿を見せようと演じているらしい。(母談)
でも、母の前では無理を言うようでほとほと困ってる様子。そんな中でも
そのわけの分からん無茶話に程よく付き合う方も母のほうで
身に付けてもいるみたいだ。そりゃ、毎日のことだから・・・。
しかし・・・症状はあまりよくない日が続いている。
便秘、尿の少なさ、この独り言も一種だろう。
目の前で変化していく姿に切なさと悲しさが一杯に広がっていく。。。。
明日は、私が実家へ。

3/6

次女が仕事休みやったから駅まで送迎してもらう。バス待ちが無いのは
こんなにもラクなのか・・・!向こうへ行ったものの 特にやるべきことも
無いわけで・・・。
父の容態は 特に変化はなく。ただ、お腹周りが
腹水と便秘でなのか?かなり目立って大きくなってる状態だ。
そんな中でもトイレには自力で行ってる訳で・・・・。その力の
すごさに驚く。足もかなりむくんでるのに。歩きづらさもかなり
あるようだ。そりゃそうだよね。丸まってる足で歩くのだもの。今日父に隠れて
昼食を取ってるとこをトイレに行く父が見てしまった。
「なんだよぉ。おいしいそうなもん食べてるじゃないのぉ。どうして俺には
くれないのよぉ」【これがはっきり話を聞けた最後で 自力でトイレへ行ったときだった。】
食事も 食べても出ない、無理に押し込むと吐いてしまうため
かなりセーブしている。しかし・・・。
薬の為に食べようとしてるのを”食べたでしょ?”と説得するさまは
悲しいものがある。しかし、父の欲求どおりに
食事を与えていたら吐くと言う余計な力を使ってしまうわけで。
あのお腹周りを見たときにかわいそうと言う思いだけで 食事を
食べさせるのも考えてしまう。
言ってることも 会話のつながりが無くとても悲しい。だんだん、父とは
違う人になってゆくようでいて・・。でも目の前のベッドに横になってる父は
父な訳で・・・・。

3/7

3/8金曜日から実家へ泊まりで看病に行く予定だった。18:40だったろうか?!
看病に行っていた三女から電話が来た。父の様子がおかしいらしい。
息遣いが荒く、声をかけても返事がないらしい。習い事に行ってるタブりんを呼び
次女の仕事場へ連絡を入れる。帰る途中で 私と子供二人を拾ってもらい実家へ。
19:00過ぎに到着。越谷に住む上のお姉さんへも連絡をとり
来てもらうことに。
口にガーゼを乗せた父の姿があった。ちょっと目の動きもおかしい。
ベッドの傍へ駆け寄る。訪問看護の方にも来て貰ったところ、
取りあえず大きな声に対しての反応が少し出てきたから大丈夫と。
また、何かあったら連絡をとのことで 帰ったらしい。この日から
3人姉妹と母と交代で寝ないでの看病が始まった。
濡らしたガーゼが苦しそうだが それを取ってしまうと口の中が乾いてしまうらしい。
ストローから少しづつ水を含ませたり 汗を拭いたり目を離せない状態だった。

3/8

昨日の不安定な状態から大きな変化はないものの
自分から話をすると言うことはなくなってしまった。こちらから、大きな声で
呼びかけないと 我にかえれないようで・・・。夕べの状態に茨城の兄弟たちへ
連絡をしていたので 朝一番(7:00か8:00だったろうか?)で来てくれた。
来たことを父に伝え、“誰が来てくれたか分かってる?“の母の質問に
「家族」って・・・・・。一言。その後、父の会社の社長さんもきてくれて
“社長さんが来てくれたよ”の呼びかけに・・・・
「社長、悪かったねえ、すまなかったねえ。あそこに道具を置きっぱなしで・・・・・」
どうも、一番最初に病院へ行く際に 仕事途中で 病院へ向ったらしく
仕事一筋で来ていた父はそれをとても気にしての謝りだった。
夜には母方の親戚が来た時には
話をする事はほとんどできず 時間単位分単位で 病状が変化していた気がする。
でも、自分の兄弟や親戚と面会できたのは 本当に良かったと思う。
親戚の方たちも遠い所本当に大変だったでしょうが ありがとうございましたの
感謝の気持ちでいっぱいだった。

3/9

こちらからの応対も あまり会話が出来る状態でなくこちらからの
呼びかけのみとなっていた。お風呂も、入れられるような状態でないので
体を拭いてあげた。しかし、汗ばんでる体を拭いても 一瞬しかサッパリしないのが悲しい。
下着を替えてパジャマを着せて 下のタオルを替える作業は2、3人いないと
出来ないようになっていた。パンツの脱ぎはきも容易ではなかったので
紙パンツを購入してきた。しかし、どれだけの頻度で替えればいいかわからず
かなり悪戦苦闘だった。
父の体の動きが気になり そこで気がついた。
気持ち悪い時間ごめんねの気持ちで・・・・。 息遣いもだんだん荒く 看てるがわの方が
辛くなっていたし 夜一人で父を見てるのは怖かった。二人かかりで
看病していたが一度寝てしまうと起きるのが辛かった。お隣さんが差し入れてくれた
栄養ドリンクがありがたくて、私は初めて栄養ドリンクに頼っていた。

3/10

3/7から泊り込みでいたものの明日からは学校。我が家と三女とも今日中には
帰らなくてはいけない。次女も明日から仕事だと言うのに
母一人で 今の父を見てられるわけもなく・・・・。どうしたらいいのか?
次女は仕事を辞めようかとも考え、三女は 子供を学校休ませて
実家へ泊り込もうか考え。私は取りあえず 夕方17:00までいて
また、明日来ることにした。ここ数日の状況からそんなに大きな変化はなく。

時間になって、なんとなく気になりながらも帰ることにした。
少しの時間残る三女に宜しくといい、父へ
「明日も来るからねっ。元気で頑張ってねっ」
子供たち二人にも ベッドの傍へこさせて 帰る挨拶を。
「川口のお父さん(これが呼び名だった)、頑張ってね。またくるね」
「うぅぅうっ」なんとなく挨拶を返してもらった気がして
駅まで次女に送ってもらう。
ふ〜〜〜!!
の思いで電車に。なんだか長い時間だったなあ・・・。
二駅目。降りる駅に着く少し前で携帯がなった。電車の音でよく聞こえない。
「父が血を吐いて?????どうのこうの・・・・取りあえず戻って」
逆戻りで急いで実家へ。
頭が真っ白、パニック状態。「えっ?えっ?ど、どうなったの?」
18:00過ぎ 自宅へ戻ると 息絶えた父が横向きになって次女に抱えられていた。
涙が溢れ出て 止まらなかった。


私たちが帰り 次女が自宅へ戻り着き 母と妹たちで話をしていたそうな。
父の方で「うっッく・・・」という声を三女が聞き
傍へ行ったら 少し血を吐いて、その後バケツタオルなど一揃い用意を
した後一気に吐血をし、その途中で首の脈が止まったと。
だから、シーツの一部を汚したくらいで そんなに飛び散ってはいなかった。
『とても、静かな最後だったよ』とのことだった。
母の誕生日を4日後に控えての最期だった。


最期看取る事が出来なかった私は良かったのだろうか?悪かったのだろうか?
この問いかけの答えを出せずに、ずっと私の中で残っていくんだろうなあ。


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