発病から入院へ

肝臓ガンの告知

平成13年12月5日、人生の一つの区切りである60歳の誕生日におめでと電話を入れた。
この頃、腹痛があり12月から仕事を休んでることを知った。この頃の
家族皆 事の重大さには気がついてなかった。というのも60歳を迎えたら“仕事を
セーブする。そして、少し自分の時間を作る“というのが口癖だったから。
12月10日、母より電話があった。

母「もしもし・・・・。大変なことになったぞっ。肝臓ガンだって・・・・」
私「えっ?!(・・;)。。。。。。。。。なにそれッ?誰がっ?」
母「お父さん!」
私「うそだあ・・・」
母「待って、今お父さんと変わるから。」

父「もしもし・・・・」
私「本当なのっ? (?_?) エッ?」
父「嘘はいわねえだろうよっ」

さすがに声はかなり落ち込み気味だった。
私「絶句。。。。」
どうも、数日の痛みに耐え切れず、一人近くのKセンター(病院)へ行ったらしい。
レントゲン、CTなどもろもろの検査をした結果、【末期の肝臓ガン】との診断に
至ったらしい。しかし、いきなりの本人告知なんてとても考えられなくて また
そこの病院側からの入院拒否。あまりに末期過ぎて治療を進めていくことさえ
出来ないのか?そこの病院があまりに藪医者過ぎての誤診なのか?
家族みんなが頭真っ白状態&信じられなかった。

病院探し
何も治療を進めてもらえない病院なんて、こっちだって結構よ!(−_−#)
でも、どこから何をどうしたらいいのか???
私たち姉妹それぞれの知人たちのアドバイスを聞きつつ まずは他の病院に
もう一度みてもらった方がいいとの結論。
私【築地のGセンターはどう?12/13に診察してもらえるらしいよ!】

次女【Kセンターから、再度一週間後12/17家族で来てください。
との話があったのでそこの話をまず聞いた方がいいのでは?!】

三女【埼玉Gセンターで良くなったと言う友人のお父さんがいるよ。ただ、診察を
受けるには予約を入れなくてはいけなくて12/18の診察になってしまうって。】


結果。。。
一番早く診て貰える築地に行こう。私は数日仕事を休んでいたこともあって
家の主人に付き添いを頼む。父からも頼んだ付き添い&道案内だった。
私も、“うん、大丈夫。ガンの専門病院だし、きっと何か治療法があるよ。
今の医学は進んでいるもの。きっときっと大丈夫。“て思ってた。でも、
診断は変わらずだった。やはり、何も手だてがないと・・・・・。
打ちのめされた言葉だった。私の中でこの病院に賭けてた部分が大きかった分
涙が溢れて仕方がなかった。父も、なれない電車&待ち時間&受けた診断結果
戻ってきての一言が・・・・。
「な〜んだぁ!これから九州一周しようと思ってたのになあ・・・・(´ヘ`;)
お母さん、がっかりするなあ・・・。疲れたから、少し横になるわ」
もしかしたらそのまま病院に入院になるかもしれないと思っていた母は
入院に必要なものをいろいろ用意していたのだった。その母の気持ちを考えても
涙が出てきた。ガンに関係していたことのある友人に あちこち連絡した。
何か方法はないものなのか。
何も治療を進めずして“死“を待つしかないなんて!!
そんな時に、ネットで“M病院”の事を知る。
「ガンをあきらめないで下さい」との院長先生の言葉に光を見えた気がした。
予約を入れなくても大丈夫との事なので、12/17に行こう。
と同時に、次女の知人よりN医大を紹介してもらう事が出来た。12/17。
結局、N医大の方へ行くことに。

「なんだか、ココへ来て一生かかる分の診察券の数が増えたなあ!」 父談
それだけ、あちこちの病院へ行き診察券をもらい、同じ問診表の中身を
書いていた日々だった。

入院へ!
肝臓を専門にしている教授に診てもらったが、やはり状況は厳しいらしい。
でも、ベッドが空いたら入院が出来るとの言葉に
救われた気がした。父の“助かったあ”という言葉が全てを物語っていると思う。
12/18病院から電話があり、19日入院できるとの事!
18日から川口に入っていた私と三女は入院の付き添いが出来る事が
嬉しかった。次女も仕事の休日とあって、家族5人で病院へ行く事が出来た。
午後1時入院の前に 実家での昼食をとった。

「いろいろありがとなあ!病気が治って戻ってきたら、礼はするからなあ」父談
今まで、こんな言葉を聞いた事がなかったから驚いた。
場を和ませるため(?!)本心(?!)

三女「じゃあ,戸田競艇の船券かなあ?」
笑いながら一同「馬鹿なこといってるよぉ。。。」 ☆○(゜ο゜)o ぱ〜んち
そんな中で 次女の運転にて病院へ。大人5人にめい一杯さを感じながらの移動。
大きな病院だった。入院の手続きを姉妹でしている最中,父母は待合椅子に。

そこでみた光景に・・・・
旦那さんの肩で涙している奥さん。
きっと担当医に言われている病は見舞った方は知らないのかもしれない。
その辛さ&悲しさを病室では見せられず、一階まで降りての涙だった。
(私の想像・・・)
それを見た父は 母に「あれ・・・・」と指を思わず指していた。
私は、この先に起こるであるかもしれない我が家の一部をそこに
見てしまった気がして 胸が苦しくなった。
手続きが済み,9階へ。
4人部屋の入り口だった。トイレ&シャワールームも付いてて“うん“なんとか
生活は出来そう!でも、できれば、奥の場所の方がいいかもなあ・・・。
なんて私は思っていた。
パジャマに着替え、ラジオも設置し、持って来たいろいろなものを引き出しに
しまい一通り片付けがすんだら。
「よし!これでOK!!ありがとなっ。もう帰っていいぞっ」父

ホント、せっかちでやること済んだらもういいぞって

ヾ(´ー`)ノふ〜〜!